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二战日军的军旗奉烧仪式(多图)

日军的军旗与古代中国的外交使节手中拿的奉节一模一样,是很长的一串节,每个步兵联队都有这种军旗,军旗是个图腾也代表部队,军旗没了部队就消失,每个部队都必需与军旗共存亡,这种军旗战场上也从来就没有缴获过,日军战败时各部队都烧掉军旗,因此日军战败也没有交出任何一个部队的军旗,现在绝大多数中国人肯定根本不知道日军的军旗原来就是这个模样。

军旗这个长节可以缝上面写有部队名称的旭日旗,但旗面不是军旗,这串节穗才是真正的军旗,由天皇亲赐。

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中国战场上手持军旗的日军

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近卫步兵第3联队军旗祭拜式

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日军奉烧军旗仪式(摄自步兵43联队)

第1步:

旗手持旗,在护旗手的护卫下登高,除旗手护旗手外全部队官兵对军旗行军礼

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第2步:

旗手收卷军旗将军旗交给部队指挥官(摄自步兵68联队焚旗仪式)

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第3步:

由部队长亲自把军旗放入奉烧台安置,然后全部队官兵向军旗致敬

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第4步:

部队长亲自点火,部队全体官兵向军旗致敬至火灭为止

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战败后个别日军部队秘密隐藏了军旗,所以现在还是有不少军旗保留了下来,军旗这个长节可以缝上面写有部队名称的旭日旗,但旗面不是军旗,这串节穗才是真正的军旗,由天皇亲赐,旗面实际是个无所谓的东西,只是标识军旗所属联队番号的作用。

不过军旗的旗面也有规矩,军旗的旗面只能是旭日旗,在旗下角空有一白域,上面写上军旗所属部队的番号

日军的军旗只发放给联队,至于大队或旅团/师团都是没有军旗的,可以获得军旗的联队是步兵联队,骑兵联队,战车联队与炮兵联队,至于工兵,辎重兵联队不授军旗。日军的步兵联队军旗为标准军旗,尺寸较大,而骑兵,炮兵,战车兵的军旗尺寸比步兵的要小的多,此外骑兵,炮兵,战车兵联队只有精锐联队才授予军旗,而步兵联队只要是野战联队全部授予军旗,由于日军的步兵联队通常全都属于野战部队,因此可以认定,步兵联队全部都有军旗。

现在日军军旗还是那个样子,不过连中队都有了军旗 ,二战时日军的军旗为深绿色,现在是金黄色 ,日军步兵联队军旗共有437面,其他联队军旗才几十面,也不很多,日军很多师团不是野战师团,是没有联队这一单位的,日军一共437面步兵联队军旗,就代表有437个野战步兵联队,至于各种独立联队混成联队是没军旗的,日军的437个步兵联队中有170个是精锐步兵联队,战争中完全损失了5个,遭重创12个。

军旗在行军中会用防水布套包好,妥善的保护,照片里1个日军扛着的一个象炮管一样很粗大的大棍子就是套着防水布的军旗

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太原入城日军第2师团步兵第30联队军旗

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任何国家都没缴获过日军军旗,日本现在还存有1面终战后从南洋带回的军旗,这面军旗没有在终战时烧毁,日军决定把这面军旗偷运回国,为此日军将军旗剪成20多小段,由20多名日军每人拿1段藏匿在身上,成功的逃避了检查,将军旗带回本土,汇合后重新缝成一面完整的军旗,是唯一一面保留下来的南洋军部队的军旗。

军旗の奉焼等

歩兵第14连队(1877年2月に贼军に夺われた。)

西南戦争で西郷军に夺われる。后に再授与。夺われたときの指挥官である乃木希典大将(当时少佐)は明治天皇に殉死した际の理由の一つにこの事件を挙げた。

近卫后备歩兵第1连队(1904年6月15日に奉焼。翌年6月28日に再授与。) 日露戦争中の1904年(明治37年)6月15日に常陆丸事件でロシア军に卤获されることを防ぐために连队长须知源次郎陆军歩兵中佐が奉焼させた。同年6月28日に「曩ニ近卫后备歩兵第一联队ニ授与シタル军旗玄界滩ニ於テ联队长戦死ノ际焼弃セシニ由リ更ニ此军旗一旒ヲ授ク」という勅语とともに再授与された。

歩兵第49连队(1906年10月2日に失火により焼失。同年12月14日再授与。) 警备に当たっていた1906年(明治39年)10月2日に火灾によって焼失する。旅団长は5日、连队长太田朗陆军歩兵中佐及び连队旗手は軽谨慎30日、连队长代理及び周番司令は軽谨慎25日、连队付少佐及び连队副官は軽谨慎20日の処分を受けた。なお、軽谨慎処分は惩罚処分であって、军法会议にかけられたわけではない。同年12月14日に「曩ニ歩兵第四十九联队ニ授与シタル军旗ハ不虑ノ灾ニ罹リ亡失セシニヨリ更ニ此军旗一旒ヲ授ク」という勅语とともに再授与される。

歩兵第64连队(1939年8月29日に奉焼。)

ノモンハン事件中の1939年(昭和14年)8月29日に、ソ连军に包囲され脱出が困难となったため、连队长山県武光陆军大佐は军旗を奉焼させた。

歩兵第71连队(1939年8月30日に奉焼。)

ノモンハン事件中の1939年8月30日に、ソ连军に包囲された同连队は军旗を奉焼する。连队长は先に戦死していた。

歩兵第170连队(1942年11月16日に海没。)

1942年(昭和17年)11月16日にパラオ冲で米海军潜水舰の雷撃により输送船とともに海没する。再交付されなかった。

歩兵第28连队(1942年8月21日に奉焼。)

ガダルカナル岛で1942年8月21日午后3时に奉焼するとともに、一木清直连队长は自决(日本侧の戦闘详报)。その后证言により埋没処理と判明(ガダルカナル岛の戦い)。

歩兵第29连队

ガダルカナル岛の戦いで土中埋没処理を行う。古宫连队长は自决。再亲授后の军旗は终戦时、仏印ビエンホア付近で奉焼。

歩兵第210连队(1944年4月26日に海没。)

1944年(昭和19年)4月26日にバシー海峡で米海军潜水舰の雷撃により输送船乗船中の连队长小池安正陆军大佐とともに海没する。再交付されなかった。

歩兵第118连队(1944年7月4日に奉焼。)

サイパン岛で奉焼。连队长伊藤豪陆军大佐は先に戦死していた(サイパンの戦い)。

歩兵第135连队(1944年7月4日に奉焼。)

サイパン岛の戦いで奉焼。连队长铃木栄助陆军大佐は先に戦死していた。

歩兵第136连队(1944年7月4日に奉焼。)

サイパン岛の戦いで奉焼。连队长は小川雪松陆军大佐。

歩兵第38连队(1944年7月21日に奉焼。)

1944年7月21日夜にグアム岛で奉焼。连队长末长常太郎陆军大佐以下玉砕した(グアムの戦い)。连队生き残りの横井庄一伍长が1972年1月24日に保护された。

歩兵第18连队(1944年7月25日夜に奉焼。)

1944年7月25日夜にグアム岛で奉焼。连队长大桥彦四郎陆军大佐以下玉砕した。

歩兵第50连队

1944年8月2日にテニアン岛で奉焼。连队长绪方敬志陆军大佐以下玉砕した(テニアンの戦い)。

歩兵第33连队

1944年10月22日にレイテ岛で奉焼。连队长铃木辰之助陆军大佐以下玉砕した。

歩兵第9连队(1944年10月顷に奉焼。)

1944年10月顷にレイテ岛で奉焼。连队长は神谷保孝陆军大佐

歩兵第20连队(1944年10月顷に奉焼。)

1944年10月顷にレイテ岛で奉焼。连队长は鉾田庆次郎陆军大佐。

歩兵第2连队(1944年11月24日夜に奉焼。)

1944年11月24日夜にペリリューの戦い末期に奉焼。奉焼后、连队长は自决し、连队残存将兵は万歳突撃により玉砕する。连队长は中川州男陆军大佐(戦死后陆军中将)。

歩兵第145连队(1945年3月14日に奉焼。)

1945年(昭和20年)3月14日に硫黄岛で奉焼。连队长池田増雄陆军大佐以下玉砕した(硫黄岛の戦い)。

歩兵第22连队(1945年6月24日顷に奉焼。)

冲縄戦中の1945年6月24日顷に冲縄南部で奉焼。连队长吉田胜陆军大佐以下玉砕した。

歩兵第89连队(1945年6月24日顷に奉焼。)

冲縄戦中の1945年6月24日顷に冲縄南部で奉焼。连队长金山均陆军大佐以下玉砕した。

歩兵第32连队(连队长は北郷格郎陆军大佐)

司令部壊灭后も敢闘を継続していた歩兵第32连队は、终戦により米军に投降する前日の1945年8月28日に军旗を奉焼した。

难を逃れた军旗

歩兵第124连队

ガダルカナル岛撤退时に连队旗手小尾靖夫少尉がたった1人になりながら军旗を守って生还した。

歩兵第115连队

ビスマルク海海戦で输送船が撃沈されるが、2名が军旗を守って30日以上海上を漂流したのち帰还した。

本文内容于 2010-3-26 18:34:44 被FlankerMa编辑

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